そのSEOの個々の施策にどこまでの工数・金額が許容されるのか


これはとてもとても難問である。

最初からサイトを作る場合であればSEOの考慮を行うならばそれほど困難ではないことが多い。
まったくゼロからつくるなら、無限の選択肢の中で「こうしたほうがSEOの観点からは正解」という作り方を選ぶことができる。
それらのどの選択肢を選んでもコスト的に変わらないことがほとんどである。

端的に分かりやすい例を挙げてみよう。

社長ブログをサブドメインにするか?サブディレクトリにするか?

サイトの制作段階においてはどっちを選んでも制作に要する工数は全くと言っていいほど変わらない。
ところがひとたび作った後で変更するとなると、結構大変である。
設定を変更するだけなら簡単であるが、サイトの運用歴が長くなっているとこんなことでも結構面倒くさいことになる。
現在運用中のページのGoogleの評価を新しいページに引き継がなければならなくなる。

こんな感じで一度作ったものの変更を行うのはとても大変だ。
建築物を考えてもらうと分かりやすいと思う。

建てた後で「ここは洋室ではなく和室にした方が良かった・・・」

となった場合に変更するのは非常に面倒だ。
しかし、最初から和室にしておけばなんてことない。
Webサイトの場合はここまで極端ではないかも知れないが、似たようなものである。

最初から考慮しておくことが重要なのである。

しかし、最初からSEOの考慮ができているサイトというものはとてもまれだし、最初考えていた最適解と実際の運営にかい離が生じることはごくごく普通の出来事だ。
といったわけで後からの修正は避けがたく発生する。

しかし、ここがとてもとても難しいところだ。

SEOにおいて絶対の正解はほとんどないからである。

変更を行うことによってどれだけ検索エンジン経由での集客が増えるか?最終的なコンバージョンに寄与するか?はやってみなくては全く分からない。
費用対効果を予め推定することはほぼ無理だ。

ではどこまでやるべきなのか?
私はこう思うのである。

ここまで予算をかけることを許容しよう

という一線を引くのがいいのではないか。
サイトの収益から考えて、ここまでならばまずは費用をかけてもいいという予算をまずは決め、その範囲において優先順位をつけて実施するしかないと私は考えている。
不確実なビジネスに対する投資と同じ考え方だ。

結局のところそのための予算をまったく投下できないのであればSEOを実施することはできない。

また、ごくわずかな予算しかなければ成功は恐らくおぼつかないだろう。
ではどれくらいかければ適正なのか?

まずは感覚的に自然検索経由のユーザー10%増程度を目標にしてみるのがいいのではないか?というのが私のざっくりとした意見である。
10%ユーザーが増えることによって得られるコンバージョンから、どれくらい利益が得られるのか?
そこから逆算して予算を決めてみたらどうだろうか?

これには様々な前提があって、それを無視しているのであくまでごく乱暴な目安にしか過ぎない。
しかし、今までSEO観点においてサイトの修正をほとんど行っていないのであれば、一つの目安になりうると考える。
ほとんどSEOの考慮ができていないのであれば、チョロチョロ直すだけで10%ぐらいは増やせるだろう。

多くのサイトにおいて10%の自然検索の増大は大した利益向上をもたらさないだろうが、その範囲内での予算であればさして痛くもないだろう。

でも、これも様々な状況に当てはまるわけでもない。
そもそも自然検索経由での集客が月間500にも満たないようなサイトであれば、10%増えたところでコンバージョンが増えることはさして期待できないので、そこから予算をねん出することもできまい。

このようなケースも私は難問だと思っているのだ。
サイトが全く収益化に寄与していないケースである。

ゼロの収益を1万倍してもゼロだ。
ましてや10%増えたところでどうなるものでもない。

全く収益化に寄与していないサイトについては、私はまずは売りたいサービスなり商品なりの宣伝ページをきっちり作りこみ、まずはリスティングで集客することを勧めたい。
リスティング及びリマーケティングで集めても、まったくコンバージョンが立たないのであればSEOをやったとしても多分無理だ。

もう一つ難問のケースだが、10%ユーザーが自然検索から増えたとしても微々たる予算しか出ない場合だ。
会社がSEOに対する投資を認めてくれればいいのだが、認めてくれなければどうするか?

サラリーマン的な処世術からすればSEOなんかやらないというのも正解だろう。
しかし、それでもSEOをやりたいというのであれば、担当者が自発的に労働強化で乗り切るしかないのではないか?
自分でやれるところをやって、それで結果でもって示すしかあるまい。

さて、最後になった。

SEOに正面から取り組んでいるサイトで、個々の施策にどれだけかけるべきか?

もう簡単にできるところはあらかたやりつくし、工数がかかるところをどうするか葛藤しているケースだ。
SEOの担当者の力量、経験が最も試されるところだ。

場合によっては数百万といった金額がかかることもあるかも知れない。
それをやるかやらないか?

他のサイトで効果があった施策であったとしても、自サイトでは効果があるかどうかは不明だし、そもそも他サイトでSEO施策をやった結果どんな効果があったか?なんてことはほとんど情報がない。

これほどの予算規模になってきたら、SEOのちゃんとしたコンサルタントを頼むしかないのではないか?と考えている。

ちゃんとしたコンサルタントと書いたが、これが分かるコンサルタントは恐らく日本の中全部合わせても何十人もいないだろう。
本を書いているコンサルタントでも、すごくいい加減で嘘八百言う有害なコンサルタントも多く知っている。

難しいのだが、ちゃんとしたコンサルタントにジャッジしてもらうしかないというのが結論になりそうだ。
というなんともつきなみで、かつつまらない話で締めくくるしかないのである。

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2015/02/02 | コメント/トラックバック(1) |

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SEOの観点から危険性のあるサービスの見分け方


私はSEO的な観点からダメになってしまうサービスを予言するのが結構得意である。
(残念ながらうまくいくサービスを予言するのは外れることが多いのが残念である)

うまくいくサービスを見抜くのは非常に難しい。
しかし、将来的にダメになるサービス、特に検索エンジンからの集客が大きなウエイトを占めているサービスについては結構当たる自信がある。

その見抜き方について今まで誰にも語ったことはないのだが非常に簡単だ。
秘密にしていたのではなく単に語る機会がなかっただけなので書いてみようと思う。

それは、

検索エンジンから嫌われるようなことをしているか否か

私が理解しているのは、細かな原則というよりももっと大くくりである。
大くくりの考え方を理解しておけば、SEOを非常に容易くとらえることができるようになるだろう。
その意味で今回の記事は役立つかもしれない。

大くくりの考え方としてよく言われることは、

有用なページを作ればよい

と言われる。
しかし、これだけではまだ全然Googleの本質を捉えているとはいえない。
Googleの考える有用なページと、世の中の一人ひとりが考える有用なページには当然のことながら差異がある。

Googleが考える有用なページとは何ぞや?

なのである。
以前も書いたことがあるのだが、優秀なSEO担当者はシステムエンジニア出身といった人は少なくて、営業担当者といった対人スキルが求められる職業の人が多い印象がある。
これが正しいのであれば、一つ有力な仮説が導かれると私は考えている。

営業担当者といった職業についている人は、相手の思考を先回りして先手を打って対応することが求められる。

こんなことを言ったら、彼はこんなことを思うだろうなとか、
こんな時だったら、彼女はこんなことを言いそうだな、

といったことを予測したり、想定したりすることがスキルとして必須だ。
SEOはこれに似ている。

Googleを人格として理解すると非常に腑に落ちるというか、とても納得が行くと私は常々感じている。
Googleとはこんな人というイメージを完全に伝えることができれば、少なくとも私がたどり着いたレベルまでは誰でも来れるはずだ。

イメージを言葉にして伝えるのは難しいが、そこを頑張って言葉にしてみたい。

一言で表現するならば、精神の貴族という言葉がふさわしいように思う。
ノブレス・オブリージュという言葉がある。高貴な人は地位に応じた高い義務を負うという意味だ。

Googleは私利私欲で動いていると解釈すると、SEOは理解できないだろう。
私利私欲から離れた責任感がある高貴な人物と考えると非常に分かりやすい。
ではもっと具体的に掘り下げてみよう。

第一にGoogleは公平である。
誰に対しても基本的にはえこひいきをしない。
基本的にという留保がつくのは、余りにも反社会的であるといった場合はごくたまに罰を下すことがある。といったケースだ。

第二にGoogleは無私である。
自らが権力であることを自覚しているが、その権力を自分のために使うことは絶対にない。

第三にGoogleは自らを騙そうとするものを嫌う。
公平ではあるのだが、自らを騙して便宜を図らせようとするようなものに対しては、毅然として罰を与えるべきといつも考えている。
しかしこのような罰を与えるのは、自らの力が強大であることを知っているゆえに、慎重であるべきでルールに従って厳格に運用されねばならないと常に自重している。

第四にGoogleは人間の労苦を出来る限り尊重しようとする。
人間が苦労して作り出した一次情報を尊重する。
コピーしたり、ちょっと加工したり寄せ集めただけの二次情報なんかにはさしたる価値はないと思っている。

こんな人柄である。
そこからどんな結論が帰結されるか。


第四が人々の解釈と大きく違うところだろう。
情報を加工したり、寄せ集めて見やすくしたりするだけではGoogleは評価しない。
この種のサービスはあるが、いずれは評価されなくなるはずである。

まとめるのではなく創造しなければならない。
現時点においてはまとめただけのページでも上がっているものも多数ある。
しかし、いずれはただまとめただけのページなのか?創造されたページなのか?を見極める厳格なルールを自分で見出してそれに従うはずだ。
ルールがなければ、恣意的に扱ったりしない。
一律に全員に適用でき、罰することが可能になるルールを見出した時に初めて実施する。

今は良くても、そのうち駄目になるまとめが多数発生するだろう。

もう一度書くのだ。

このような罰を与えるのは、自らの力が強大であることを知っているゆえに、慎重であるべきでルールに従って厳格に運用されねばならないと常に自重している。

ここが重要であると思うのだ。
ルールを自らに課して厳格に運用する。
つまり目についたからといって場当たり的に罰したりすることは基本的にはやらない。
何か新たな不正が発生した場合などには、それを手あたり次第に罰していくのではなく、その種の不正をルールとして定めて統一的に扱えるようにして初めて罰を下す。

こう考えると今はわかった上で泳がされていると思えるサービスもいっぱいあると解釈される。

今の状況はGoogleにとって是なのか?単に泳がされているだけなのかの判断は比較的容易なのではないか?と思うのである。


ちなみにブログのネタ募集中である。最近は特にネタ切れでしんどいのである。
もし、こんなことについて見解を教えて欲しいといったことがあれば、是非問い合わせフォームやtwitter、Google+などでお伝えくださいませ。

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2014/12/15 | コメント/トラックバック(0) |

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SEOにおいて金で解決できることとできないこと


世の中金が全てだという人はさほど多くはないだろう。
少なくとも私の周辺には存在しない。
しかし、そういう意見を持っている人はある一定数は存在しているはずである。

私はどうかというとお金には執着しない質だ。
しょせん、お金では値札がついているものしか買えないのである。
(まあ、大富豪といったレベルになれば、話も変わってくるだろうがまあ一般的な話としてだ)

自分が欲しいと思っている物事はそれなりにあるが、自分自身あるいはその周辺の人々の努力でしか手に入らないものばかりである。

SEOの知識や技術とか、プロジェクトを円滑に回すことができる能力とか、上手に文章を書けるようになることとか・・・、

色々たくさんある。これらのうちのたった一つでもお金では買えない。

SEOについて考えてみよう。

基本的には同じである。
日常の運用の全ては人の手を通じて実現される。

誰かの努力によってのみ達成される

と言い換えてもいいだろう。
金で解決できることとはでは何だろう。

これは実は簡単である。

ほとんどの場合個人が実現したいことは、自分自身の力によって達成したいという前提がつく。
しかし、サイトの運営で達成すべき目標というものは誰が行ったとしても何ら問題ない。

もし、金にモノを言わせて外部から優秀な人物を招聘すれば全て解決することができるはずだ。

しかし、これは考えないこととする。
金だけで解決できる問題は何か?
と問題を限定したい。

現実問題としてある程度潤沢に金は使えるプロジェクトはあっても、人を自由にできるプロジェクトはほとんど存在しないだろう。
人に関しては原則的に現有メンバーでプロジェクトを遂行するしかないのが通常は前提である。

さて、やっと本題に入ることができるのだ。

SEOで行うべきことを分解して金で何とかなるのかならないのかを一つ一つ考えてみたいのだ。

  1. 検索エンジンにやさしいサイト作り
    唯一SEOのテクニカルな側面であり、狭義のSEOとはこれを指すといってよい。

    強調したいキーワードを検索エンジンに伝える。
    クローラビリティを高める。
    論理的な構成を検索エンジンに分かりやすくする。

    といった実装をそのサイトに即してどのようにするのが最善かを考える仕事である。
    これを行わないと元々は100伝えるべき内容が、検索エンジンには20とか40ぐらいしか伝わらないといった状況になる。

    SEOに詳しい担当者がいない場合は、この部分だけは外部コンサルタントの助力をあおぐことが正解であることが多い。
    サイトの規模が大きく検索エンジンからの集客がビジネス上重要であれば、金を払って依頼するべきだ。
    このようなコンサルタントの報酬は安くはないが、費用対効果は悪くないのでお金で何とかすべき問題であると言える。

  2. コンテンツの作成
    コンテンツの作成がSEOなのか?というと難しい問題である。
    良いコンテンツこそが検索エンジンから評価されるというのが原則なので、検索エンジンからの集客には良いコンテンツが欠かせない。
    コンテンツはSEOと不可分なのだが、そのものはSEOではないと言えよう。

    テストでいい点を取ることを目的としていなくても、普段から勉強をしている人はテストでいい点が取れるのと一緒だ。
    コンテンツ作成は勉強であり、テストの点数は検索順位に譬えればよかろう。
    勉強をせずにいい点数だけ取ろうというのはズルをしなければ不可能であり本来のあり方ではない。

    コンテンツとSEOが不可分であるというのはこういうことである。

    コンテンツを作るのは外注が可能だ。
    ただし、企画といった部分のコントロールはある程度自分たちで行わねばならないだろう。

  3. 被リンクを得ること
    なんだかんだと言いながらも現在もまだリンクである。
    リンクが全くないサイトの順位が上がることは少ない。

    これは「はい」でもあり「いいえ」でもある。
    リンクと言うものは一種の人気投票のようなものだが、金を払ってサクラを動員するって方法、つまり人工リンクは金で買えるからである。

    しかし、あくまでサクラはサクラなので、サクラであることがバレてしまったら逆に人気が失墜するという現象が起きる。
    これがペナルティと呼ばれる現象だ。

    本当の人気は金では買えない。これが答えである。

  4. 検索エンジンからの集客戦略の立案
    そもそも論の話である。

    どのようなユーザーを集客するべきなのか?
    どうすればそのようなユーザーを検索エンジンから集客できるのか?
    集客しただけでは成功とは言えない。どうやってコンバージョンにつなげるかといった道筋はどうするか?

    といった諸々を考える必要がある。
    外部のコンサルタントに依頼することもできるだろうが、アドバイスの域を出ない。
    自社の商品、サービス、顧客を知っているのはあくまで自社の担当者だけである。

    これは金で部分的にしか買えない部分である。

さて、ここまで書いてきたが結局のところ、多くの部分は金で買えるが買えない部分もあり、買えない部分が重要なポイントでもある。

という非常に月並みな結論に落ち着いた。

とは言え、SEOサービスを購入するのはその会社なり担当者なりの力量を見抜く力が必要である。
品質の悪いSEOサービスをとんでもない金額で販売している会社もあり、高ければいいというものでもない。
ここが難しいところで、見極めがとても難しく自信がなければ、金を払うという選択肢は除外したほうがいいと思うのである。

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2014/12/02 | コメント/トラックバック(0) |

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SEOは全ての悩みを解決する魔法の杖ではない


「金槌をうまく使える人は、すべてのものを釘と見てしまう。」

という譬えがある。
リスティング広告のコンサルタントとして有名な阿部氏はこれから、リスティングが得意な人は何でもリスティングで解決しようと考えてしまう傾向がある、ということを述べている。

これはリスティングだけではなく、他の販促手法にも言えることだ。

アフィリエイト広告も運用を細かく丁寧にやれば大きな成果を生み出すし、SEOもピントがずれていない限り継続していけばそのうち確実に成果が出る。


ちょっと横道にそれるがSEOにおけるピントのずれとは、集客するユーザーがずれているケースを指す。
コンテンツマーケティングで、「検索ニーズがあるから流入を大きく増やせるし、スパムにならないという」という理屈で、自社商材と全く関係のない妖怪ウォッチのコンテンツを大量に作ってしまったという例があるそうだ。詳しくは「SEOのロングテール戦略とコンテンツマーケティングの話」をご覧いただきたい。とても示唆に富んだ記事である。


さて、SEOであるが、私は特に近年においてはSEOだけで完結することは難しくなってきていると思うのだ。

近年はコンテンツ作成による検索エンジンからの集客がSEOの根幹と言われているが、コンテンツだけでは集客は完結しない。

集客とはサイトにユーザを連れてくることによって終了するのではなく、コンバージョンが得られて初めて目的を達成する。
コンテンツというものを商品の売り込みを目的としないユーザーのためになる情報だと定義するならば、コンテンツだけではコンバージョンに至らない。

コンバージョンを取るためにはコンテンツではなく売り込みのページ、セリングが重要なのだ。
これはSEOにさほど寄与しないかも知れない。
しかし、充分な情報量や、競合と比較した場合の優位なポイントを明示しない限りコンバージョンにはなかなかつながらない。

コンテンツそのものはサイトにユーザーを集めることはできるが、その先の購入という行動を起こさせることは難しい。
セリングのページの充実があって、初めてコンテンツに存在意味が生まれると私は考えている。

セリングはSEOという観点で考えるというのではなく、

競合と比べてどこがいいのか?
買うにあたっての阻害要因は何か?

を考えて、必要充分な情報を提示することが重要である。

この発想は何かというとマーケティングに他ならない。

そもそもコンテンツSEOもユーザー視点での必要な情報を提供する行為であり、これもまたマーケティングである。
SEOはSEOで完結するのではなく、マーケティングに包含される概念である。

さて、コンバージョンを取るためには、最低限コンテンツとセリングのページが必要であることを述べたが、これではまだ十分ではない。

これで確かにコンバージョンは取れるだろう。
しかし、これだけでは十分な成果を得ることは難しい。

コンテンツとセリングの間には隔たりがある。

コンテンツを見て役に立ったと感じたとしても、それがコンバージョンにつながる可能性は高いとは言えない。
コンテンツからセリングへの橋渡しが必要となる。

様々なコンテンツやセリングを作りこむことで、検索結果への露出を増やすことで、再訪を促すのももちろん有効なのだが、これは決定打とはいいがたい。
再訪させるためには、様々なニーズを満たすキーワードで検索結果に露出をはからなければならないが、狙ってもうまくいかないことも多い。

様々な手法を駆使して再訪を促し、セリングページを見せなければならない。

そのための手法とは、リマーケティングであったり、検索広告向けリマーケティングであったり、ディスプレイネットワーク、Facebook広告、メールマガジン、アフィリエイト広告といったあらゆるオプションが考えられる。
これらを選択、組み合わせ、最終的にコンバージョンを高める絶え間ない努力が必要だと私は考えている。

SEOの担当者がこれらの全ての手法を熟知することは不可能だと思うのだが、そのメリット・概要を押さえておくことは必須だと思う。

一人の担当者で押さえることができる領域は多くはないのだが、結局のところ細かいテクノロジーを知らなくても、それらの集客ソリューションが消費者にとって、どのような意味をもたらすか?を理解すれば、ある程度の見通しを立てることは可能だと思うのだ。

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2014/11/25 | コメント/トラックバック(0) |

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コンテンツSEOの意味と戦略・そして達成目標


コンテンツSEO

この言葉がめちゃくちゃ流行っている。
でもこれほど不明瞭な言葉も珍しい。

Web2.0という言葉がその昔流行したが、その解釈は人それぞれ違っており、本来の意味から離れて単に

「新しいインターネットのあり方」

といったような意味で用いられていたように思う。

「コンテンツSEO」という言葉もこれに似ている。

これまで被リンク一辺倒だったSEO業者がこの言葉を盛んに使っているのを見聞きするたび、これってどうなんだよ?
って思うのである。
まあ、リンクでは思うように順位が上がらなくなってきたから、

「しょうがない、コンテンツでも売るかぁ」

というのが流行の理由だと私は思っているのである。

そもそも論で言うなればコンテンツSEOというものは当たり前なのである。

コンテンツなくしてWebサイトは存在しない。
コンテンツとはWebサイトそのものだ。
Webサイトの価値を機械的に計測して順位計算するのが検索エンジンである。
言い換えれば、コンテンツの価値を計算するのが順位計算と言える。

そうなので、コンテンツSEOというのは余りにも当然すぎるほど当然だ。
SEO業者が、

「当社はコンテンツSEOを提供します。」

というのは、飲食店が、

「うちの店では食べるものを提供します。」

というのとほぼ同義である。
しかしながら、今までのSEO業者はこれを提供してこなかった。

コンテンツを良くすることなく、順位だけを上げるといった手法は本来のあるべき対応ではない。

空腹を満たすことを目的として飲食店に入って、

「このサプリメントを飲むとたちどころに空腹を忘れます。食事に比べたらずっと安いですよ。」

って言われるようなものだ。
まあ、確かに空腹であるという状態を解消するのであるから、目的は達成しているものの根本が違う。
本来のお客が求めているものとかい離があるのだ。

人工リンクによるSEOのサービスはこれに似ている。

確かに検索経由での集客を増やすことができるので、目標は達成できているのだが、手段が根本的にずれているのである。

お客もこれが常識になってしまっていて、食事をするのではなくサプリメントを飲むのが当たり前だと思っているのが現状であろう。
普通に食事を提供しようとすると、「時間かかりすぎだし、高えよ」って文句を言われるというのが今の状況かと。


本来SEOというものはコンテンツの価値を高める、あるいはコンテンツを正しく認識させることで、検索経由での集客力を増やすことを指す。
人工リンクはSEOではない。

コンテンツSEOというのは、ごくごく普通のSEOに過ぎないのだ。

それをことさらに強調するというのは、

「うちの食堂ではサプリメントじゃなくって食べ物を提供しますよ。」

ということを強調されているぐらいの違和感がある。
まあ、今までのSEO業者は飲食店で言えば食べ物を提供してこなかったし、提供する技術もなかったのだから「まし」になったとは言えよう。
あくまで「ましになった」あるいは普通になったということである。

では、そのコンテンツSEOとは何か?

である。

コンテンツとはWebサイトそのものだ。
コンテンツを作ってSEOするというのは、それだけでは何も語っていないに等しい。

「Webサイトを良くする取り組みをしますよ。」

というあまりにも曖昧模糊とした言葉である。
Web2.0という言葉が、人によって解釈が様々に分かれたように、コンテンツSEOという言葉も人によって解釈が異なる。

「コンテンツを作ることでSEOすることでしょ?解釈ずれないよ。」

と言われるかもしれない。
でも大違いなのだ。

コンテンツを作るのは

誰に対して何を作るのか?

という根本が問われなければならない。
多くの人はまだコンテンツを被リンクの代わりだとして捉えている。

無理な外部施策で上がらなくなったから、コンテンツを作ろうというのであればそれは人工リンクと変わらない。
これはスパムであり、いわゆるコンテンツミルってやつだ。

人間のためにコンテンツを作るのが前提だ。

その上で、どんな人に対して読ませたいものを作るのか?

  • その商品なりサービスなりを今、欲している人に対して訴求する。
    これはコンテンツではなくセリングと言うべきなのかも知れない。
  • 潜在的ニーズを掘り起こす。
    このような商品を買おうという気がなかった人に対して、気付きを与えるようなページを作ること。これもコンテンツではなくセリングに分類されるだろう。
    これらはSEOを考慮しなくても、コンバージョンを取るためにやるべきである。
  • 知りたいというニーズに応えるページを作る。
    これがいわゆるコンテンツによるSEOというものだ。
    今すぐ客ではなくても、いずれ顧客となりうる可能性がある人を集めるという考え方だ。
    結果としてコンバージョンとして刈り取るのは、リマーケティング広告、ブックマークなどによる再訪問といった経路である可能性が高い。
    直接はコンバージョンを生むことは少ないだろう。
    直接的な成果のみを追うのであれば、コンテンツSEOに取り組むと失望することになろう。
  • リンクを得ること。
    これもコンテンツSEOと言える。
    ソーシャルメディアを一緒に運用することがほぼ必須である。継続すれば大きくバズを取れる言うなればホームラン的記事をたまに書けることもある。

    ソーシャルメディアで交流を続けることで、単なる文字情報を超えた人と人とのつながりを作ることができ、その心のつながりはコンテンツを介してリンクとして結実する。
    コンテンツの中身もさることながら、この人が書いているからといった状況に意味があるといった状況だ。

    私が書いたら別にどうってことのないことでも、辻氏が書いたら、

    「うーん、すごいわ」

    て思われるかも知れない。
    まあ、そういったことも含めてコンテンツを作っていくことだ。

    このレベルは通常はSEO業者には無理である。

    たかぽん氏の記事「3年後に生き残るアフィリサイトを考えてみた①」が詳しくとても良記事だったので、是非ご覧いただきたい。

何を狙っていくのか?
それが曖昧模糊とした状態でコンテンツSEOという言葉でわかったような気になるからうまくいかないのだ。

それは、何の戦略もないWebサイトを作るとうまくいかないということとほぼ同義である。

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2014/11/18 | コメント/トラックバック(0) |

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SEOから先に考えると全て失敗する


企業担当者も制作業者もSEOについて誤解していると感じることがある。
SEOをそれ単体が特別なものとして捉えられているという誤解だ。

SEOはWebサイトにおける集客活動のごく一部を担うに過ぎない。

それ自体が独立して存在するわけではなく、SEOのみでできることなど高々知れている。
期待しすぎると失望する。

よくあることであるが、キーワードプランナーといったツールを使って、キーワードを洗い出してコーポレートサイトを作ろうという企てなどは間違いである。

コーポレートサイトに求められるページとは何であるか?

ユーザーに対して、製品・サービス・会社の情報を余すところなく伝えること、信頼を持ってもらうことだ。
集客しなくては目的は達成できないが、SEOに偏って内容をおろそかにすると、そもそもの目的を達成することができない。

SEOによって内容をおろそかになるケースというのが、キーワードありきでWebサイトを作ってしまう場合だ。
何故、キーワードありきで作ると内容がおろそかになるか?

それにはいくつかの理由がある。

  1. 本来、ページは書くべき内容が先にある。しかし、書くべき内容が明確なイメージがないままにページを作ることによって、価値のないページができる。
    読んでも印象に残らない、あるいはあまりにもありきたりでつまらないページになる、もしくは、ユーザーニーズとかい離した内容のページになる。
  2. 類義語を使ってそれぞれ別のページを作ってしまう。
    例えばお風呂のリフォームのページを作る場合を想定しよう。
    「風呂」「ユニットバス」「浴室」といったように主語に相当するキーワードが複数ある。
    「リフォーム」「改築」といったように述語に相当するキーワードも複数ある。
    このように主語、述語ともに複数ある場合、全部の掛け合わせのパターンを作るということが間違いのもとなのだ。
    サイト内での統一感が失われるし、単体の記事は良かったとしても類似のコンテンツが多数できてしまう。
  3. ユーザーが自社のサイトに求めている内容とかい離したページができる。

その結果として、ブランドイメージを損ない本来の目的を達成することができなくなる。

この会社はこの程度のことしか考えていないのか?

と思われてしまうのである。
最近は、コンテンツSEOという言葉が流行しているが、この手のページを量産しているのであれば結局のところ目的を達成できないだろう。

そうして、検索エンジン経由の集客そのものもうまくいかない可能性が高い。

書くべき内容のイメージがなければ、検索キーワードをとりあえずタイトルと、本文に含んではいるもののぼんやりとした記事になるだろう。
そうすると、検索キーワードに対する記事の内容の掘り下げが浅くなって、検索エンジンからは評価されない。

テクニカルな話をすると、「共起語」が少なくなるといったページになる。そのことがきちんと理解できていない人が書くため、どうしてもそうなるのである。

では共起語を文章中に入れ込んでやればいいではないか?

というようにズルく考えればなるのだが、これにはあまり意味がない。

Googleが認識している共起語を正しく知るツールなんてそもそも存在しないのだ。

また、文章の内容の良否は共起語だけに依っているわけではない。
良い記事は、良い記事を生み出す努力と、知識によってのみ作られる。
上辺だけ真似しても、うまくいかない。

歴史的に有名な画家の絵は数億円の価値があり、それを模した画学生の絵は価値が全くないか、数万円といったところだろう。
見る人が見ればわかる。
それと同じだ。

また、類似コンテンツができてしまうことによっても、サイト全体の情報量が薄くって検索エンジンから評価が下がることも十分に考えられる。

結局、SEOに偏したサイトというのは、ブランディングを損なうのみならず、検索経由の集客もうまくいかないのだ。

最後に一言書いておこうと思う。

私は検索キーワードを見つけるツールそのものは意味がないとは思っていない。
使い方によっては有用である。

「Google先生」という言い方がある。
「何でも知っているGoogle」という意味だ。
検索のほとんどは自分が知りたいことの答えを、Googleから教えてもらうという行為である。

「ユーザーはどういうことを疑問に感じるのか?」
「ユーザーはどういう言葉を使って検索しようとしているのか?」

ということを知るためにツールを使うことは非常に有用である。
検索キーワードの裏側には検索するユーザーが存在する。

そのユーザーのことを知るために、検索キーワードを知ることはとても有用だ。

そのキーワードの検索ニーズはこれだ。

と考えることは的が外れていることがままある。
そうではなくて、検索ニーズを満たすための内容とは何か?を良く考えてページを作ることは実際に検索ユーザーにとっても有用な試みである。

検索キーワードは単なる文字として存在するのではなく、人間のニーズとして存在していることを考えて作るのであれば有意義であることを最後に付け加えておくのである。

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2014/11/10 | コメント/トラックバック(0) |

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インハウスSEO担当者にとって知識より重要な能力・資質とは


インハウスSEOをやっていると、SEOの知識がそれ程必要ではないことに気がついたりする。
それはなぜかと言うと、

SEOの知識が必要になるのは新規サイトの構築時・リニューアル時といった非常に限られた場合しかなかったりするからである。

年がら年中、リニューアルをやっているわけはないし、実際にリニューアルがあったとしても、普通はそれほどSEOに関する考慮点はない。

数百ページ程度のWebサイトであればSEOの技術そのものの巧拙によってそれ程差は出ない。

極端な話、WordPressやMTといったCMSで作ってやれば、Google検索エンジン最適化スターターガイドに書いてある程度のことを理解していればまず問題ない。

※とは言え、SEO担当者に知識が要らないわけではない。
デザインやユーザービリティとのSEOがバッティングした場合にどっちを優先させるか?
あるいは、両方とも損なうことがないうまい落としどころを見つけるといったあたりは、知識あるいは経験がモノをいう。

さて横道にそれた。

SEOの高い技術がインハウスSEO担当者に求められるわけではない。
では何が必要なのだろうか?

私が考えるSEO担当者に必要な能力・資質とはこういうものだと思う。
必ずしも正解とは限らないのだが、参考になれば幸いである。

1.SEOに関する見識

SEO担当者の担当者たるゆえんはここにあると私は思う。
これが最重要だと考えるのだ。

もし、SEOに関する知識が足りなかったらば、外部のコンサルタントや業者を雇ってもいい。
会社の内部で足りないリソースを外部から調達するのはごく普通のことだ。

しかし、SEOのサービスは経営コンサルティングなどと一緒で、コンサルタントの言うことをうのみにすると非常に有害な時がある。
知識・経験の低い経営コンサルタントは時にクライアントの会社を傾けたり、時にはつぶしてしまったりする。

SEOのコンサルタントはこれと同じだ。
知識・経験の低いコンサルタント、業者に従うと、サイトの存続基盤が破壊されるという事態が起こる。

良否を見極めるのは、

見識

である。
自分自身の中に「あるべきSEOとはこういうものである」というぶれることがないしっかりとした軸を持つことだ。
あるべきSEOを実現してくれると確信できるコンサルタントや業者と契約するのである。

これが最も大切である。

2.実行力・実現力

コンサルタントであれば、

「こうすればいいんじゃないですか」
「こうするべきでしょう」

という助言をすればとりあえず責任は果たしたことになる。
しかし、インハウス担当者はそこからが仕事である。

それに必要な予算、人員、時間といった所要の資源を確保しなくてはならない。
非常に難しいが、障害を突破し、達成するまであきらめない強い精神、実現力がなくては成功はおぼつかない。

このあたりは社内の信頼がインハウスSEOの成否のカギを握るに書いたので、ご覧いただければと思う。

3.企画力

これを1番目にもってきても良かったかもしれない。
卓越した企画力を持つインハウスSEO担当者は、技術・知識が全くなかったとしても優秀な担当者たりうる。
技術、知識のないSEO担当者をSEO担当者と呼べるかは別だが、SEOがもたらすであろうビジネスの成果をもぎ取ることが出来るかも知れない。

「競合に勝つためにはもっとリンクが必要ですね。」

コンサルタントならそう言うだろうし、

「内部だけでは無理です。やっぱりリンクを張りましょう。」

SEO業者はそう言うかもしれない。
外部施策の重要性は今もほとんど変わっていないので、リンク獲得は今でも非常に重要だ。

コンサルタントならば「外部リンクが必要です」というだけで普通仕事は終了だが、インハウス担当者であれば、

※2014/10/27追記
そうではなく、具体的な施策まで踏み込むコンサルタントも数多くいることも確かではありますので、要は選び方かも知れませんが

「どうやってリンクを得るか?」

を考え、実現しなくてはならない。

Webサイトの置かれている状況や、会社で使えるリソース、できること・できないこと、協力してくれる外部のパートナー・・・

といった状況は全てにおいて異なる。
あるサイトをやった時はリンクをもらえた方法でも、今やろうとしているサイトには適用できないことが普通だ。

知恵を絞り、柔らかい発想で考え、素早く実行に移すことが必要である。
これを持ち、リンクを外部から獲得することができれば、多少施策がまずかろうと技術がなかろうとSEO担当者としてつとまる。


最後になるが、なにゆえにこんな記事を書こうと思ったか?を記しておこうと思う。

私はインハウスの担当者であったりもするのだが(実際はそれ以外にも種々、諸々、様々な仕事を色々やっている)、インハウスSEO担当者にはビジネススキルが求められると感じるのだ。

「〇〇がないからできません。」

という言葉は外部コンサルタントであれば許されるが、インハウス担当者には、

「では、〇〇がないならどうやって目的を達成すればいいの?」

そこまで考えるのがインハウス担当者の仕事である。
〇〇には、予算、サイトのオーソリティ、人員、スキルといった様々な言葉が入る。
ないからと言って逃げることはできない。それを何とかするのが仕事である。

これがない状況、というか何かがないという状況はビジネスにおいてごくごく当たり前で、それがないならないなりにどうすればいいか?
を考え、実行するといった仕事だ。

元々業者やコンサルタントであったとしてもインハウスSEOが簡単にできるというのは大間違いであり、求められるものは全く違うと考えた方がいいと私は思っている。

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2014/10/27 | コメント/トラックバック(0) |

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コンテンツSEOで上位表示をうたうサービスの真実


インハウスSEOをやっているとSEO業者からテレアポがかかってきて、ブログを書くねたに事欠かない。
SEOとは関係のなさそうな業種なのでかかってくるのである。

これは以前「人工リンクだけではないスパムSEO業者の手法」に書いたとおり。

最近のテレアポは実に巧妙で、SEOの営業という意図を秘匿してかけてくる。
あたかも新手法であるかのようなテレアポである。

同じようなネタばかりで恐縮なのだが、注意を喚起しておきたいと思った次第なのだ。

「完全にナチュラルな手法ですので安心です」
「Googleのガイドラインには一切触れません」
「コンテンツSEOという手法なので大丈夫です」

こんなうたい文句がどうやら流行っているっぽい。

実際にその通りであれば問題ないのだが、嘘、まやかしかもしれない。
今回私にテレアポをしてきたのは、業界では有名な悪徳SEO業者。

それに付き合う私も私だが、評判だけで判断するのではなく実際に有用であれば採用してもいいかもしれないと思っているのである。

クライアントが検索順位の1位を占めているキーワードでググらせてみて、検索結果を表示させる。
確かにそこそこなキーワードで1位に表示されていた。
(でもこれって、クライアントの了解はとっているんですかね・・・)

「我々はコンテンツを作り込むことで、このキーワードで1位を獲得しました。」

とテレアポの担当者は言っていた。

このトークには気をつけたほうがいい。

「コンテンツだけでビッグキーワードは獲れない」

と思っておいたほうがいい。
コンテンツで確実にとれるのはスモールキーワードからのアクセスである。

ファインダビリティという用語がある。
SEOにおいてファインダビリティとは、検索結果にどれだけ露出をしているか?
を指している。

ビッグキーワードで上位表示すれば、検索数が多いので当然ファインダビリティは大きく上昇する。
コンテンツSEOによる効果はここにはなくて、様々なスモールキーワードで少しずつファインダビリティを高めることにある。

コンテンツでビッグキーワードを狙ってとることはできない。
コンテンツの増加によって、結果的にサイト全体の評価が上がってビッグキーワードが上位表示することはあるが、それはあくまで「ラッキー」だったということだ。
(面白いコンテンツを作ることによって、口コミを巻き起こしてリンクを集める方法もあるが、これも一種の博打のようなもので確実性はない)

私はその場でOpen Site Explorerを開いてみて、バックリンクを見てみた。

被リンクがバンバンに当たっている。

「これ人工的なリンクではないですか?」
「え?ナチュラルリンクですよ。」
「どう考えても人工ですよね?」
「いえ、一記事一記事手作りで書いてますので人工リンクではありません。」

手作りで書いていれば人工リンクではないという見解にはなかなかしびれるものがあった。
確かに発リンクするページは、アンカーテキストに応じてそれに関連する記事が書かれている。

ワードサラダや、無関係なテキストにアンカーテキストがただ埋め込まれているといった、いかにもバレバレな人工リンクではない。
確かにこれならGoogleを騙しおおせるかもしれないってレベルである。

人工リンクの定義とは何だろう?
それは、

「検索キーワードの順位上昇を狙って作られたリンクのこと」

である。
まさしくそれだ。
文章は確かに手作りであるものの、当たり障りのないことしか書かれておらず、これを読む価値はほぼゼロだ。
被リンクのチェックに慣れてくると、見た目だけで人工リンクかどうかはかなりの確率で瞬間的に見分けられるようになるが、慣れれば瞬時に見分けられるレベルである。
また、ドメイン名も明らかに内容と合致していない。
Wayback Machineで見てみると案の定オールドドメインである。

これを人工リンクと言わずして何という。

「中古ドメインも使われてますし、手作りとは言えコンテンツの内容はないに等しいですよね。」
「そうかもしれませんが、でもやはり被リンクがある程度はないと上がらないですから。」

被リンクがないと上がりにくいということはこれまた事実である。
今でも被リンク重要性は全くと言っていいほど変わっていない。
ナチュラルリンクが付けばいいのだが、今でもGoogleはナチュラルリンクと人工リンクを完全に見分けられないので、上がることは事実である。

まるっきり新規のサイトなどではSEO業者がちょろっとリンクを張ると瞬く間に上がったりとかするし、長年放置されていたような企業サイトでも検索エンジンからのトラフィックが見違えて増えたりする。

結局のところ、このテレアポ業者はコンテンツも作っているものの、人工リンクによる外部施策で上げているのだ。
まあ、今までの見るからに怪しい外部リンクだけで上げる手法よりはましとは言えるが、高いリスクがあり私としてはお勧めはしない。

もし、コンテンツSEOをうたい文句にしているのであればリンクは使うのか?
そこをよく確認する必要がある。
特に順位上昇をうたい文句にするコンテンツSEOは、実際はコンテンツSEOでない可能性が非常に高いので注意せねばなるまい。

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2014/10/06 | コメント/トラックバック(7) |

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社内の信頼がインハウスSEOの成否のカギを握る


最近のトレンドはインハウスSEO(外部業者に頼まず自社でSEOを行うこと)だ。

アフィリエイトサイトの場合は全く無から始まるので被リンクはゼロなのだが、企業サイトの場合は企業活動に伴い必ず何らかの被リンクが付く。
私は被リンクがゼロであることと、少数でもちゃんとしたリンクがあるのは天と地ほども違うと私は思っている。

何かサイトができました。

ということをGoogleが検出した時に、そのサイトの正当性みたいなものを把握しようとする。
その際に全く外部からのリンクがなければ、評価の下しようがない。
リンクがなければ評価が著しく低いままに放置される可能性がある。

ところが企業サイトであれば企業活動が存在する。
人材募集をすれば求人サイトやハローワークといったオーソリティの高いサイトからのリンクが付く。
業界団体といったページもオーソリティが高いだろう。
電話帳に掲載すれば電話帳データベース系のサイトからリンクが付く。

これらのリンクはいわば企業の実在証明みたいなもので、サイトに存在意義があることをGoogleに対して証明するものだ。
ということで無理やり人工リンクをつけなくても、原則的には内部だけで勝負になる。

コンテンツの充実やといった内部の施策だけで検索結果への露出を高めることができる。
今までと原則論としては変わってはいないものの、よりその傾向は強まっている。

この原則に従うならば被リンク業者の出番はないのだ。

では誰でもインハウスSEOはできるのか?
なのだが、

「YesでもありNoでもある」

といったもったいぶった答えになるように思える。
確かに誰にでもSEOはできることは間違いない。

数百ページまでといった小規模なサイトであれば、コツコツコンテンツを作っていけばいいのだし、比較的大規模なサイトであってもやるべきことは大体決まっている。
前までは少なかったが、現在はユーザ参加型の大規模サイトについてのSEOの情報も比較的手に入るようになった。

SEOはこれをやれば順位やファインダビリティが確実に上がる正解はないのだが、

「これはやるべき。やって損はない。」

といった正解は数多くある。
自社サイトの中にある確実な不正解をつぶしていけば、検索結果経由での集客力を確実に高めることは可能だ。
なので、確実にやりさえすればSEOはできる。

しかし、インハウスのSEOにはインハウスならではの難しさがある。

SEO担当者に力が必要なのだ。

外部のコンサルタントなどと異なり、担当者には担当者としての権限と権威しかない。

SEO担当者はWebの制作部門であったり、広報であったり、あるいはシステム部門の所属であったりとか何らかの部門に属している。
そして、たいていはその部門の長ではなく、一担当者に過ぎないことが多い。

インハウスSEOというものは部門横断的な取り組みが必要である。
システム部門や広報、営業部門といった様々な部門の協力がなければ成功はおぼつかない。

しかも、それを行うことによる成果について定量的な説明ができない。
これをやったからどれだけの成果が得られるか説明することは不可能だ。
やらないよりもやったほうがいいということを積み重ねて、そのどれかあるいはいくつか、あるいは全部が成果を生み出す。

これはシステム部門からすれば、

「それやるのに工数は大体10人日かかります。それに対しての効果はどれだけ見込めるんですか?わからない?わからないなんて言わないで下さいよ。そんなコスト感覚のない発言は無責任ですよね。」

営業部門からすれば、

「Webサイトからの引き合いを取ることには大賛成ですよ。でも、コンテンツを作っていつ成果が出るか?わからない?わからないってそんなものに協力はできませんね。こっちはあなたと違って目の前にお客さんがいるんですよ。」

といったように反対されるのが普通である。
これらの反対を押し切ることが出来なければインハウスSEOは絶対に失敗する。
障害は競合サイトではなく社内にあるのだ。

そしてこれらの反対発言には根拠があり合理性がある。
それに対してSEO担当者の意見には合理性がないことが多くSEO担当者に分が悪い。
SEO担当者に社長の後ろ盾といった政治力があればいいのだが、普通はそんなものはない。

社内の反対を押し切る力とは何か?

それは「信念」だ

もし成果が出るという信念が持てなければ、打ち負かされるしかない。
信念を持つためにはどうするか?

インハウスSEOに必要なものは成功体験だ。
こうすればうまくいったという過去の事例が、自信をもたらし、言葉に説得力を与え、人を動かす。

サイト内の小さな改善による成功事例がよいが、実験サイトでもよいだろう。
成功するかしないか自信がないということは、自分自身すら説得することができないということだ。
自分自信すら説得できなくて、どうして他人を説得することができようか?

自分自身のやったことが成果を生み出したことを実感できれば人を動かせる。

そして、最初はちょっとした成功でもよいので、成果を出すことで社内に少しずつSEOは役に立つといった評価を植え付ける。
これによって社内における力、信頼を得てSEOを円滑に進めることができるようになる。

これがインハウスSEOの力の源泉で、皆に信頼されることが成し遂げるために必須なのだ。

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2014/09/29 | コメント/トラックバック(2) |

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SEOはテクニックだけを真似しても成果は出ない


SEOで多くの集客を行い成功しているサイトは数多くある。
その真似をしてもSEOはなぜかうまくいかないことが多い。

nanapiのSEO施策を辻氏がセミナーで紹介して以来、nanapiはSEOのベストプラクティスとして有名になったように思う。
(この意味で有名になったのだが、これはユーザーを増やすことにつながったと思っている。現に私はあのセミナー以来nanapiを見るようになった。SEO的な観点ではなく、一般ユーザーとしても使うようになったし)。

このセミナー以降、nanapiのSEOは様々なWebサイトのオーナーから真似られるようになったようだが、これによって集客力が大きく増大したといった話を聞いたことがない。
まあ、私が単に知らないだけという可能性もあるので、実例があったら教えていただければ幸いである。

これは単に一つの例に過ぎないのだが、SEOでうまくいっている成功事例は数多くあるが、それをテクニックだけ真似てもうまくいかない。
それは何故か?なのだ。

私が実感することがある。

コンテンツには質量が存在していると思う。
読んだときに感じる質量がコンテンツの価値だ。
そうしてコンテンツの質量の総和がサイトの価値である。

逆SEOというモノがある。

企業名などで検索した際にイメージが悪い内容のページが検索結果上位に表示されている場合に、イメージが悪いページの検索順位を下げてイメージの悪化を防ぐというサービスである。
この手法は、検索下位にあるページにリンクをつけたり、新しくページを作ってリンクをつけた上で更新していき上位表示を狙っていく方法だ。
検索順位5位にあるページを下げようとする場合には、そのページよりも強いページを6つ作るといった必要がある。

逆SEOは実際は非常に難しい時が多く、ことの善悪はともかく都合が悪いページがずっと居座る時が多い。

いくら業者が頑張ってページを更新しようが、サイトのボリュームを増やそうが、被リンクを当てようがどうにもならないことがある。
そんな場合とはどんな場合だろう?

都合の悪いページの質量がズシッととても重たい場合だ。

たった1ページしかなくても、その中に込められた怨念がとても重たい場合。
あるいは、そのページを書かせるに至った背景が重たいといった場合。

こんな場合は、ただの個人のブログとかであっても順位を落とすのがとてもとても難しくなったりする。
SEO業者がいかにテクニックを駆使して、手間をかけても凌駕するのが難しいのである。

恨みといった負の感情だけではなく、そのコンテンツにどれだけ情熱を注ぎこむことができたか?
これがコンテンツの質量を決定し、SEOの成否を分ける。

SEOで成功しているサイトは、単に上辺のテクニックが優れているのではなく、いかにコンテンツの質量を増やしたか?において優れている。
コンテンツの質量を増やすためには、良いコンテンツを集めることを成功させるための周到な準備や仕掛けが重要になる。

もちろんSEOの設計がよくできていることも要因なのだが、コンテンツの質量を高めることができた故にnanapiは成功している。

読むに値するコンテンツがあることがSEOの前提であって、これなくしてSEOをいくら頑張っても無理なのだ。

私は一見非常に当たり前のことを述べているように思われるかもしれない。
しかし、当たり前だが難しく、そして知恵を絞らねばならないポイントだ。

コンテンツを作成するためにはコストがかかる。
コストには外部にコンテンツ作成を依頼する外注費であったり、社内で作成する場合の人件費、あるいはディレクションの手間といったものが存在する。

様々なWebサイトにおいてかけられるコストは決まっている。
そこから得られると想定される利益を超えてコストはかけられない。
コンテンツを第三者に書いてもらうようなCGMといったサイトの場合でも、集めるための様々な仕掛けのためのコストが必要で、膨大にかけたとしても費用対効果に見合うほど集まらないという可能性も大いにある。というよりこれに失敗して消え去るサイトが多い。

コンテンツの集め方については多数の戦略の中から自社の状況に応じた方法を適切に選択し、そして常に努力し続けることこそが成功をもたらす。

これがなく、サイトの構造や、コーディングといった上辺だけを真似してもSEOはうまくいかないのだ。

有名サイトを真似してもうまくいかない。

と嘆いているのであれば、サイトのコンテンツの質をそのレベルに高めるという取り組みを行ってみることをお勧めする。
最初は予算が潤沢になければないなりに、限られた予算、人的資源の中でできる限りよいコンテンツを用意してみよう。

これは遠回りに見えるかもしれないが、結局はこちらの方が成功には近道である。

多数の薄いコンテンツを用意して(薄いコンテンツというものは単に文字数を指すわけではないことに注意。また、単に共起語が入っていればいいって単純なものでもない)、サイトボリュームの増大や、ロングテールを狙うよりも、比較的少数のよいコンテンツを用意したほうがいい結果につながることを強調しておきたいのだ。

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2014/09/16 | コメント/トラックバック(0) |

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