私は毎日様々なキーワードで検索をして(多分一般的なユーザーの10倍以上は検索していると思う)痛切に感じることがある。
安定して上位に存在し、勝てないページには特徴がある。
それは、
ことである。
内容が濃いということはどういうことか。
私の感覚として言うならば、コンテンツの質量が大きいということだ。
巨大な質量を持つ天体(要は星だな)は夜空でひときわ明るく光り輝く光芒を放つ。
コンテンツもこれと同じだと思うわけだ。
誰が見ても内容が優れて充実していると感じるコンテンツの検索順位は高い。
たった1ページしかないのに上位表示されており、SEO業者が打ち勝つことができない個人のページがある。
10,000文字以上にもなるコンテンツがあり、しかも書いた人の凶々しいまでの執念が伝わってくるようなページだ。
これはさすがにSEO業者が多数ページを作って、かつ被リンクを集めて勝負しても全く抜き去ることができない。
・キーワード出現頻度
・論理的なマークアップ
・共起語の割合
とかSEOの小手先のテクニックを超越している。
コンテンツの質とはそれに込めた精神の量だと思う。
私のブログのテーマは、
となっているが、私が常に言いたいのはこれなのである。
書きたいテーマに対する強烈な愛、あるいはその裏返しである憎悪。
これによって作られたコンテンツは強力無比、鉄壁の強さを誇る。
そんなコンテンツを作ることこそが究極のSEOだと言いたいのだ。
話はようやく本題に入るのだが、Wikipediaのページが強いということの一つの大きな理由としてこれがある。
Wikipediaの項目をわざわざ編集したい人というのは、何か強い思い入れがあることが多い。
そんな人が場合によっては編集合戦といった憎悪に満ちた闘いも繰り広げながら、代わる代わるコンテンツを更新するWikipediaの各項目が上位表示されるのは当たり前なのだ。
そして、濃いコンテンツの総体としてのWikipediaはとてつもなく強いということである。
だから私はこう言いたい。
無名メーカーが先発の有名メーカーを超えようとしたら、有名メーカーを超える製品を作らねばならない。
有名メーカーより下の製品、あるいは同程度の製品を作っても認知をえることは難しいだろう。
後発で無名のサイトが認知されるためには、先発の有名サイトを凌駕するコンテンツを作る必要がある。
Wikipediaは既に社会からもGoogleからも権威として認知されているサイトである。
これを超えるコンテンツを作ることを目標にして欲しい。
渾身の力と魂を込めてコンテンツを作るのだ。
もし、サイトがあなたにとってのビジネスの生命線であるならば、生き死にがかかっているのであればそうするであろう。
たいしたコンテンツを作る努力もしていないのに、
「Googleは有名サイトばかりをえこひいきする。」
「私のページが上位表示しないのはGoogleのアルゴリズムが間違っている。」
といった不満を述べる人が多くいる。
Wikipediaの1ページは、幾つかの章立てによって成り立っている。
この一つの章立ての部分だけを深く掘り下げて、Wikipediaの1ページとなりうるぐらいの質で作る。
Wikipediaの項目が6章で成り立っていれば、6ページ作るぐらいの気迫で作ればWikipediaをはるかに凌駕し上位表示するはずである。
それで上位表示しなかったら、不平不満を述べてもいいと思う。
上記のような不満のある人で、そこまでやった人はいますか?
コメント
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